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「天下三名槍」(てんがさんめいそう)とは、文字通り天下に名高い3振の槍(やり)「蜻蛉切」(とんぼきり)、「日本号」(にほんごう/ひのもとごう)、「御手杵」(おてぎね)のことです。近年の日本刀ブームの火付け役であるオンラインゲーム「刀剣乱舞」でも、天下三名槍が「刀剣男士」として擬人化されたことから、刀剣乱舞ファンの「刀剣女子」には馴染みのある槍かもしれません。

そして現在、天下三名槍の「写し」(元となる物に似せて作られる作品)を制作するプロジェクトが進行中!3振の名槍は、いずれも2020年(令和2年)6月に愛知県名古屋市中区栄でオープン予定の名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」に展示されるのです!なお、3振はいずれも制作途中のため、すべてが揃うのはまだ先になりますが、今回は「天下三名槍の写し」公開・展示に先駆けて、「天下三名槍とは何か」をご紹介します!

そもそも槍とは?

戦国時代に最も活躍した武器

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」は、突き刺しに特化した武器です。

起源は諸説ありますが、日本においては「」(ほこ)という柄の長い武器が「薙刀」(なぎなた)や槍に変化したと言われており、はじめは薙刀の方が広く普及し、槍は身分の低い者が薙刀の代わりに使用する武器でした。

その後、戦国時代が到来して合戦の形式が集団戦に変化すると、訓練をしなくても容易に扱える槍が主要な武器になります。

槍を携えた部隊が軍の最前線に配置されるようになり、その強さによって戦いが左右したと言われるほど、重要な存在になりました。

ちなみに槍と一言で言っても、実は複数種類があるため、代表的な槍をいくつかご紹介します。

「大身槍」(おおみやり)は、「大身」と付く通り「穂」(ほ:刀身のこと)が非常に長い槍のこと。穂の長さは30cm以上、柄は4mを超え、重量は5kg前後あります。

両刃になっているため殺傷能力が高く、刺す以外に斬ることが可能ですが、その長さと重量のため扱いが非常に難しい槍です。

「長柄槍」(ながえやり)は、足軽が使用していた柄の長い槍のこと。柄の長さは4mから6mある一方で、穂の長さは20cm前後と短いことが特徴。

柄の長さを利用して、突くだけではなく、大きく振り下ろすことで打撃武器として使用できたため、騎乗している敵を狙う他、馬そのものを攻撃して落馬させるなど、間合いの広さを活かした攻撃が可能です。

また、便利な使い方ができる「袋槍」(ふくろやり)という槍もあります。袋槍は、別名「かぶせ槍」と呼ばれる槍で、通常は穂にあるはずの(なかご:刀身の中で柄に収める部分)がありません。代わりに「袋」と呼ばれる筒状の接続部が付いており、これを柄にかぶせることで槍として使用します。

袋槍は、脱着が容易なため、柄の長さを変更したり、緊急時には竹や杖などにかぶせて利用したり、応用が利く槍でした。

なお、槍の数え方は「本」(ほん)、「振」(ふり)、「条」(じょう/すじ)、「筋」(すじ)、「柄」(から/へい)など様々あります。

天下三名槍

天下三名槍の中でも最大級!御手杵

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御手杵

「御手杵」(おてぎね)は、駿河国(現在の静岡県中部)で活躍していた刀工「島田義助」が制作した大身槍。正式名称は「槍 銘 義助作」

御手杵の由来は、の形が手杵(てぎね:餅つきの際に使用する、もち米をつく道具)に似ているため、というのが定説ですが、特徴的な鞘になった経緯には、少し恐ろしい逸話があります。

下総国(現在の千葉県北部、茨城県の一部)の大名「結城晴朝」(ゆうきはるとも)が、戦場で挙げた十数個の首級(しゅきゅう:討ち取った敵の頭部)を槍に刺して帰城していた折のこと。槍に刺していた首がひとつ転がり、それが杵のように見えたため、鞘を手杵形にしたという逸話です。

なお御手杵は、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しているため、現存しているのは「写し」(元となる日本刀と同じ作風になるよう作刀すること)のみ。

刃長は4尺6寸(約139cm)、茎を含めると7尺1寸(約215cm)、「鋒/切先」(きっさき)から「石突」(いしづき:柄の先端)までの全長は1丈1尺(約333.3cm)あったと言われており、刃長の長さに関しては「天下三名槍」の中でも最大級です。

究極の大身槍!日本号

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日本号

「日本号」(にほんごう/ひのもとごう)は、「豊臣秀吉」に仕えた「福島正則」が所用し、のちに「黒田長政」の家臣「母里友信」(もりとものぶ)に渡り、最終的に「黒田家」へ伝来した大身槍です。

無銘なため詳しい制作者は不明ですが、大和国(現在の奈良県)で活躍していた刀工一派「金房派」(かなぼうは)が作刀したと言われています。

刃長は2尺6寸1分5厘(79.2cm)、茎は1尺6分5厘(62.5cm)、「」(こしらえ)を含めた全長は10尺6分余(321.5cm)あり、「正三位」の位を賜ったという言い伝えから「槍に三位の位あり」と謳われる他、姿の美しさや完成度の高さから「究極の大身槍」とも称されました。

槍を手掛ける刀工で腕に覚えがある者なら、必ず一度は「日本号写し」に挑戦すると言われるほどの名槍であったため、多くの写しが制作されました。しかし、その制作は恐ろしく難しかったと言われています。

なお、日本号は元々「御物」(ぎょぶつ:皇室の私有物)でした。「正親町天皇」(おおぎまちてんのう)から室町幕府15代将軍「足利義昭」に下賜されたあと、「織田信長」に渡り、その後は前出の通り伝来していきます。

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福島正則

福島正則は、「賤ヶ岳の戦い」で一番槍を挙げ、敵将「拝郷家嘉」(はいごういえよし)を討ち取った褒美に、豊臣秀吉から日本号を賜りました。

しかし、福島正則はなぜ主君から賜った大事な槍を母里友信に譲ったのでしょう。日本号を巡る2人の逸話をご紹介します。

あるとき、福島正則の屋敷に黒田家の家臣・母里友信が訪れました。母里友信は、「黒田二十四騎」(くろだにじゅうよんき:黒田長政に仕えていた家臣のうち、特に優れた24名の武将のこと)のひとりであり、さらに「黒田八虎」(くろだはっこ:黒田二十四騎のうち、さらに武勇に秀でた8名の武将のこと)にも数えられる勇将。生涯で敵将の首を76も討ち取り、「槍の名手」としても知られていました。 

黒田家の使者として訪れた母里友信は、福島正則から酒を勧められます。しかし、出発前から「お前は酒癖が悪いから、福島正則に酒を勧められても断るように」と言われていたため、断りました。

これに対して福島正則は、「呑めば褒美としてなんでもくれてやろう。それとも、黒田家の武士は酒も呑めない腰抜けなのか」と挑発します。

家名を貶す言葉を受けた母里友信は、大杯になみなみと注がれた数杯の酒を一息に飲み干しました。実は、母里友信は「フカ」と言われるほどの酒豪だったのです。

その後、母里友信は名槍・日本号を所望。福島正則は、「武士に二言はない」と言い切ると、母里友信に日本号を譲り渡しました。

この逸話は、民謡「黒田節」や、福島県の伝統工芸品「博多人形」の題材になるほど有名です。博多駅前には、日本号を携えて盃を持った母里友信像が設置されており、地元民の待ち合わせ場所として利用されています。

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切れ味の良さ日本一!蜻蛉切

蜻蛉切

蜻蛉切

「蜻蛉切」(とんぼきり)は、三河文殊派の刀工「藤原正真」が制作し、「徳川家康」の家臣「本多忠勝」が愛用していた大笹穂槍(おおささほやり:穂が笹の葉に似ている大身槍のこと)です。正式名称は「槍 銘 藤原正真」

蜻蛉切の由来は、立てかけてあった槍の刃先に触れた蜻蛉(とんぼ)が真っ2つになった、という逸話から来ています。

刃長は1尺4寸4分5厘(43.8cm)、茎は1尺8寸(55.6cm)、全長は2丈(約6m)にもなる長大な槍で、その柄は「青貝螺鈿細工」(あおがいらでんざいく)という美しい装飾が施されていましたが、残念ながら現存しません。

本多忠勝は、愛槍として蜻蛉切を携え、生涯に57回の合戦に出陣し、かすり傷ひとつ負わなかったと言われています。

「徳川四天王」、「徳川十六神将」(とくがわじゅうろくしんしょう)、「徳川三傑」などの肩書きを持ち、徳川家康の天下取りに大きく貢献した戦国時代最強の武将である一方で、自身の所領・伊勢国(現在の三重県桑名藩の藩政を確立するために、町割りや宿場の整備などに尽力した名君としても有名です。

しかし、戦場において「古今無双」と謳われた本多忠勝にも苦手なものがありました。それは、普段行なう槍術の練習。本多忠勝は、規則正しい動きを行なうのが苦手だったため、戦場で本多忠勝の勇猛ぶりを知る人は、その硬い動きを見て驚いたと言います。

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「天下三名槍の写し」を現在制作中!

手掛けるのは上林恒平刀匠

今回天下三名槍の制作を行なうのは、2019年(令和元年)現在、日本に39名しかいない無鑑査刀匠のひとり「上林恒平」刀匠。上林恒平刀匠は、人間国宝「宮入昭平」刀匠に師事し、数々の受賞歴を持つ名匠です。

天下三名槍が揃うのは、2020年(令和2年)6月に名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」がオープンしたあとのことになりますが、3振の名槍を並べて観ることができる日が今から待ち遠しいですね!

「天下三名槍の写し制作プロジェクト」の進捗状況は、今後も当ブログで行ないますので、ぜひご覧下さい!

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